*森ノ中ノ燈台小屋カラ*

Singer Songwriter 矢武久実の日記

空ノ記録 瞳ノ記憶 

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(2001@三鷹の森ジブリ美術館←館内がまだ撮影可だったオープン間もない頃)



最近のカメラはどんどん便利に綺麗になっているらしい。

写真に興味がある、と豪語していても別段良いカメラを使っている訳でもなく、
ただの切り取り、を中学生の頃からやっている訳です。


昨今は見るも撮るもすべてがデジタルで完結してしまえるので、
フィルムカメラを手にしている人は本当に少ないと思う。

色の粒子はどんどん綿密に。
画像はクリアになる一方で、
今のデジカメで撮った写真はのっぺりしているように感じる。

色彩や焦点が鮮明であるのに、
質感が薄いというか、空気感すらデジタル化されているというか。

久し振りにアナログ(フィルム)で(しかも一眼でも何でもないカメラで)撮った写真を見ると、
あの頃はピント調整などが出来ずに早く一眼が欲しいと思っていたものだけど、
これはこれで味があるじゃないか、と思っている今日この頃。



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(1999@部屋の窓)


この青は、デジタルでは伝えられないと思う。



今は携帯やスマホでもそれなりな写真が撮れるけれど、
面白いのは機種によって同じものを撮影しても色が違うという事。

少し前までは画像加工に抵抗がある人間でしたが、(カメラの腕一本で勝負していないじゃないか、という体育会系精神)

カメラもフィルムも種類毎で個性があり、撮った写真には違いが出てくるという事を知ってから、
自分の腕だけで掌握出来るものでもなし、
逆にカメラに掌握されてしまって撮れるものには限度がある、
つまり、使うカメラを選ぶ時点で一種の加工(エフェクト)を選択してしまっているという事になる、
自分が撮りたいものは、いま見ているそのままの色・形・空気を再現する事が全てか?(それはそれで技術が必要なことだけれど)

という自問を経て、今では画像加工で色々遊んで楽しい日々を過ごしております。
(今日の写真は加工せずありのまま)



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(2001@京都 保津川)



因みに、一代前に使っていた携帯のカメラは、綺麗な青空を撮っても少し紫がかって撮れてしまうので、
その頃はあまり空を撮らなかった。


何故、今回唐突に写真の話をしているかというと、
秋の空は一年で一番多彩で、私が切り取りのように撮る事に夢中になりだしたのも、
中学生の頃の秋の空だった、という事を秋になると思い出すのです。

なので、空の写真が当時は多かったけれど、
近年は少なくなった。

東京の空が狭い、
というのは案外本当なんだと思う。

当時住んでいた仙台の家は、丘の上にあって空が近かった。



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(1999@部屋の窓)

因みにこれらの写真は、ネガを専用のスキャナで取り込みデジタル化させたもの。(写真屋でやってくれる)

なので、アナログだけどデジタルという端境にあり、
更に今これを見ている皆さんの各々の電子端末のモニターの具合により、
それぞれ表現されている色の具合は異なるんだろうと思います。


更に言えば、人間の眼はそれぞれで微妙に違うのだろうし、
色彩感覚にもバラつきがある。

なので、私は結構大真面目に、
人が見ている景色というものは、【わたし】と【あなた】では全く異なっているんだろう、と思っています。

人間という生き物は他の生物と違い、思考というものもプラスされるので、
見た事に自分の判断や印象でエフェクトがかかり、
更にそれを誰かに伝えようとなれば、その人の表現力というものに大きく左右される訳で、

つまりそれが創作(表現)の醍醐味なんだろうと。


それを絵の具でやるのが画家で、
それを言葉でやるのが詩人で、
それを音でやるのが音楽家なんだろうと。


はい、結局の結論はここでした(笑)



000044.jpg
(1999@部屋の窓)



因みにこれらの写真はすべてハーフサイズカメラという今では歴史の産物となったカメラ(笑)で撮ったもの。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%A9
(京セラのサムライシリーズ)

なので、余計に画像が粗い。
親からの譲り受け品ですが、恐らく最後に使ったのは…



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(2007@長崎ハウステンボス)


ビデオカメラと見間違えられる代物で結構な重量でしたが、
修学旅行に持って行ったり、子どもの頃からの愛着があり。


まだ使えるんだろうか…
未使用フィルムが確か残っているので(とっくに使用期限は切れているのでちゃんと現像出来るかは怪しい)

カメラ散歩なんて余裕のある時が作れたら、こちらでご報告いたします。



そんな事を書いていたら、10月です。

ライブをやっていてもやっていなくてもあっという間ですが、
着実に今年も終わりに近付いてきている訳ですね(もう年末思考)

一番好きな季節。



金木犀の香りと共にやってきて
別れも告げずに去っていく
無言で多弁に去っていく

巡るものに約束はいらない
けれど
約束もないのに巡ってくれる

束の間の
君を浴びる



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コメント

思ったこと

こんばんは。
台風が接近しつつありますが、矢武さんの近辺では、雨、風は大丈夫ですか?(悪天候の中、ライブをがんばっている方もいますが。)

ブログを読みながら、CDが出た当初のことを思い出していました。CDはレコードより音が良いとされるものの、レコードの方が温かみがあって良いという意見が当時ありました(おそらく今も)。それはそれで正しいと思うのです。なぜかというと聴く側は音を感情で聴いているからで、感情って人それぞれだから、(その人にとっては)常に正しいと考えるからです。

デジタルは正確であるため、揺らぎやにじみがないのですが、その結果、不完全が作る偶然の産物に出会えないのが欠点なのだと思います。感情で聴く時には、その産物に良さを見出すことがあるので。

そして、【わたし】と【あなた】で見ている景色が違っているというのは、そのとおりだと思います。なので、違う【あなた】の脳に【わたし】の脳にあるものと出来るだけ同じものを持ってもらうために、発信者は技術を駆使するのかなと思います。
少し前、落語をしている友だちとやりとりしていて、落語をしている時に役になりきっているのか、それとも、聴いている人を意識しているのかと聞いたら、後者だと言っていました(ちなみに、俳優は前者だろうとも)。友だちが言うには、落語って観客の想像力で完成するんだそうです。例えば、蕎麦を食べるシーンも実際に食べるわけではありません。観客の頭の中(脳)で食べている情景を思い描いてもらいます。だから、観客が蕎麦を食べている情景を思い描いてもらうにはどうするかを考えて話すのだそうです。
そういえば、昔、矢武さんにライブとレコーディングでは発声の仕方が微妙に違うと教えていただいたことがありましたが、それも落語の話に通じますね。異なる媒体で同じものを伝えるために、相手にどう聞こえるかと心を砕くという点が。

ちなみに「違う【あなた】の脳に【わたし】の脳にあるもの」を伝えるのは、ビジネスの世界でもあります。商品説明、案内などは、こちらの情報や思いを正確に受け取ってもらうために工夫します。箇条書きにしてみたり、文字の大きさを変えたりと。その結果、内容を全て、そして正確に受け取ってもらえたと感じる瞬間があるのは、発信者する側にとっての醍醐味です(笑)。

ブログを読んでいて、そんな感想を持ちました。

  • 2014/10/05(日) 20:21:10 |
  • URL |
  • M #RShMWp3I
  • [編集]

Re:

コメント&台風の心配も有難うございます。

今のこの時代というのは、デジタルとアナログの過渡期としては最もめまぐるしくハードが変化しているんじゃないかと思います。

感情で聴く、という所は面白い点で、
今の中高生は、初音ミクなどのボーカロイドの楽曲に感銘を受けている人も多いようです。
最初は新しい分野への興味という盛り上がりかと思っていましたが、
制作側の技術向上と共に、感動して泣けるボーカロイド曲、というジャンルが定着していて、興味深いなと思っています。
感情のない機械(デジタル)に人間の方で感情を補正している感じでしょうか。
子どもが人形遊びをする事にも通じているのかな、と思ったり。

落語についてもよく解ります。
私も少しですが友人の影響で齧っていて、
渋滞中の車の中で落語のCDを聴いた事があるのですが、(確か立川談志さんの)
音源のみなので身振り手振り噺家の表情も窺えない中、
映画のように鮮明な映像も出てきて、流れるように話が展開していたので、
終わってから1時間近い話だった、という事に驚いた事があります。

役になりきるか、という立ち位置では、
私の場合は、曲を書く時にMさんの言う所の観客側(情景を描いてもらうにはどうするか)を考え、
歌う時には演者になる、という事が言えますね。
(アーティストによっては、落語家に近い観客側のパフォーマンスをする人も多いですが)

よく歌手でも役者でも、「ステージに立ちながら、同時に客席の一番後ろからステージにいる自分を眺めている目があるといい」と聞きます。
それはもしかしたら、落語の観客側にたつ、という事に近いのかもしれません。

表現するという事は、伝えようという意思のかたちなので、
より伝えようと思うと、こういう思考に辿りつくのかもしれないですね。
その意味では、ビジネスでも、ささいなメールのやりとりでも、ひいては息をするという事から始まるすべての生きるという行為が、
表現なんだと思っています。

という訳で、生きている人はみな表現者、というのが私の近年の関心事の一つという事もあり、
最近こんな話題が多いかもしれないと思いつつ。

コメント有難うございました。

  • 2014/10/07(火) 02:14:25 |
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  • yatakekumi #-
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